タイトル | ソープにおける「情緒」 |
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投稿者 | 銀とエロ |
投稿日 | 2016年11月05日 |
『ソープにおける「情緒」』 私は、ソープにおいてゴムの有無や発射回数には、あまりこだわっていない。姫の年齢やルックに対しても、そのストライクゾーンは広いほうだと思っている。そういうわけだから、とにかく格安で手軽に発射できればいい、とか、若者にありがちな発射回数を求めるようなプレイは、はっきり言って粋じゃない野暮な行為だと思っている。 そういった行為は、何もソープではなく、デリやヘルスに任せておけばいいのだ。 では、何を求めてソープ遊びとしているかというと、それは、一時的なものとはいえ勘違いをさせてくれるような疑似恋愛と、日常では味わえないテクや技術、サービスといったものである。 この疑似恋愛とサービスという二つの要素は、相反するものであろう。もし、付き合っている彼女に、いきなりソープらしいプレイをされたら、ちょっと引いてしまうだろう。 だから、この二つの要素を、バランスよく提供してくれる姫が、私にとっていい姫である、と思える。 ちなみに、私は、それがソープにおける「情緒」だと思っているし、ソープには、そういう「情緒」のある存在であってほしい、と思っている。 ところが、最近は、その「情緒」がわかっていない姫が多いように思う どうせならば若くてルックスがいいに越したことはないのだが、それだけの姫が多すぎるように思う。単に、若くて綺麗なだけだと、今はそれでも客はつくだろうが、その若さや美貌に衰えが出てきたときに、いったいどうするんだろうと、他人事ながら心配になってしまう。 | |
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