タイトル | 吉原遊廓 |
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投稿者 | オールドパー |
投稿日 | 2019年07月07日 |
『吉原遊廓』 吉原遊廓。 言わずと知れた、江戸時代から昭和の前半まで公営の色街として栄えた街である。 だけど、その歴史は悲劇に満ちていて、昔の風俗街と一言で片すことは出来ません。 江戸遊郭で働く女性はみんな、借金のカタやら貧しいやらで、親や夫に売られて半ば強制的に連れてこられた女の子達です… 売られたばかりの子供の頃は、しばらくは花魁の身の回りの世話係をしながら 花魁となる修行をして、そして年頃になると男を取らされます。 しかし、江戸時代はまだ避妊具などはなく、本気でイクと妊娠すると信じられていた時代です。 当然、そんな状態で妊娠しない訳はないものの、当時まだまともな中絶方法などありません。 当時、望まない妊娠をした場合は、中絶するのではなく一旦、生んでから、 秘密裏に葬るというのが一般的だった様です… 一応、闇医者がいて、膣に金属棒を無理やり突っ込んで掻き出すことで 堕胎させたり、毒である水銀を主体とした中絶薬もあったそうですがともに高額で危険も多く、それで命を落とすケースも少なく無かったようです。 お金がなく闇医者にも中絶薬も手を出せない遊女は、何時間も冷たい川に浸かったり、自ら鋭利な枝などを子宮に突っ刺して中絶をしていたそうです。 これだけでも涙ちょちょ切れんばかりですが、もっと恐ろしいのは梅毒です。。。 当時の吉原遊女の感染率は、9割を超えるとも言われています。 梅毒は、一期〜四期まで発症と停滞期を繰り返し、全身、見るもおぞましい姿に腫れただれた挙げ句、最終的に感染後10年以上にもなると脳や臓器まで侵され、死に至ります。 そんな自分の醜くただれだ姿に耐えられず、自ら命を落とす遊女もいたそうです。 吉原に連れてこられたときの借金と買い取りのお金は、そのまま遊女の借金となり、それを返すまではひたすら男に抱かれ続けなければなりませんが、 それでも28歳になると、年季と言って遊女としての引退を迎えます。 だけど、中絶や梅毒、精神的ストレスなどにより、大半の遊女は年季を迎える前に命を落としたそうです… 吉原における遊女の平均年齢は、22.7歳であったとも言われています… 女の子を売り飛ばした親や夫も、そして売られた女の子本人も、そんな運命が待ち受けているとは知らなかったことでしょう。 今でも風俗は多少のリスクが付きまといますが、昔の吉原遊郭で遊ぶのは、性病になりに行くようなもの… 人工中絶も性病の知識もない時代の風俗は、遊ぶ方も遊ばれる方も、まさに命がけですね…^^; | |
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