タイトル | 立川の古戦場に思いを馳せる |
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投稿者 | OISO(運営スタッフ) |
投稿日 | 2016年02月05日 |
『立川の古戦場に思いを馳せる』 毎回毎回昔話で申し訳ありません(^_^;) この情報局が立川メインだった頃は、「クリスタル女学院」と「J-WAVE倶楽部」の2店が熱かったと思います。私も常連というほどではないですが、何度かお世話になりました。皆様の中にも馴染みの店だったという方がいらっしゃるのではないでしょうか。 立川のデリ遊びに利用するホテルは、北口のシティかニューポートが殆どです。お遊びが終わって嬢とお別れをした後に、ホテルを出て立川駅がある右手に向かって歩きます。突き当たってまた右手に数十メートル程歩くと「クリスタル女学院(通称:クリ女)」の古戦場が見えてきます。現在はピンサロ「キャンディーガール」がある所です。ここを通る度に、クリ女が健在だった頃を思い出します。 クリ女といえば名物の開店前行列です。15時開店ですが、その30分前に並んでも10番手以降だったと記憶しています。多い時には行列が店の前の駐車場まで続いていることもありました。通行中の女性からの冷たい視線を受けながらジッと立ってる人、新聞や文庫本を読んでいる人、ゲームをやっている人、携帯をいじっている人など、周囲の視線にはびくともせず、ひたすら開店を待っていました。 この行列の先に何があるか知らない人には、こんな時間に行列?余程美味いラーメン屋なのかと思われたかもしれないですね。 15時近くになると出勤した嬢が、店がある地下へと消えていきます。その都度、並んでいる我々はザワザワしていました(^^; ピンサロは今と変わらずフリー派ですが、フリーでもクリ女で地雷を踏んだことはありませんでした。生理嬢に当たることはありましたが、嬢は皆可愛かったので、それで我慢は出来ました。 プレイで思い出すのは、フラットシートがとにかく狭かったことです。キツめのジーンズを穿いていると脱ぐのが大変でした。また、周囲の壁が低かったので、お隣さんのお遊びが丸見えだったことです。おじさんが嬢の足を持ち上げて甲の辺りをペロペロ舐めている姿を見た時は衝撃的でした・・(^_^;) サービス面でも嬢が生理でなければ全裸サービスがデフォだったと思います。今ではピンサロでも69は当たり前かもしれませんが、当時はピンサロで69が出来るなんてものスゴイことだと思っていました。ヘルス並みのサービス内容を6,000円~8,000円前後で受けられるなんて他にはないと思っていましたから。いつも大量発射&大満足で店を後にしていました。 一枚くらい名刺を残しておけばよかったと思っていたところ、検索したらブログに載せている方がいました。あの赤い名刺!そういえば校歌なんてあったな~と懐かしく思いました(^ω^) 「JーWAVE倶楽部」はクリ女より回数は少ないものの、よく通ったピンサロです。古戦場はセリクラが入っているあの茶色のビルの1階です。中央線からもビルは確認できます。 ここで思い出すのはクリスマスイブに来店したことです。会う約束をした女性にフラれ、傷心のままぷらっと入店。お相手の嬢はグラマーで私好みでした。 シートは背もたれが高い黒色(だったと思います)のベンチ型でした。イブなのに来店した理由を嬢に話して、愚息と一緒に慰めてもらいました。虚しさは残りましたが、愚息の怒りは静まりました(^O^;) 元気出してねと出口まで手を振りながら見送ってくれた嬢の姿は目に焼きついています。 「クリ女」と「J-WAVE倶楽部」、どちらも閉店してから6~8年くらい経つのでしょうか。ある日、クリ女に行ったらシャッターが閉まっており、J-WAVE倶楽部の看板は木板で覆われていました。 立川でデリるときに待ち合わせで利用する北口のコンビニからは、J-WAVE倶楽部があったビルが目の前に見えます。遊び終わって駅に向かって歩きますとキャンディーガールの前を通ります。どちらも目にすると「夏草や兵どもが夢の跡」と松尾芭蕉の句が浮かびます。あの頃の立川ピンサロは熱かったな~と感慨深く思うのです。 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 | |
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