タイトル | 渡鹿野島にプチ慰安旅行してきました【前編】 |
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投稿者 | タンスにゴンゴン |
投稿日 | 2022年05月23日 |
『渡鹿野島にプチ慰安旅行してきました【前編】』 …どーも、企業戦士・ゴンダムです。 テレビアニメ『機動戦士・ガンダム』。 その第15話『ククルス・ドアンの島』がこのたび映画化されました。 この回は、妙に体の線が細く顔が面長な『ドアン(専用)ザク』に代表される作画崩壊などで伝説になっていますが、今回、私はかつて風紀崩壊で伝説になった島🌴… かつて“売🌸島”と呼ばれた、三重県の渡鹿野島を観光してきました。 渡鹿野島は、三重県・志摩市は伊勢神宮のある伊勢市の南東。 牡蠣の養殖で有名な的矢湾の中に浮かぶ、周囲約7km、面積約0.7平方㌔の島です。 そんな小さな島が何故、“伝説の売🌸島”と呼ばれたのか? 今日は渡鹿野島で『ブラタ●リ😎』! …ではありませんが、今回はこれまで興味があって目にしてきた書籍、レポ記事などから島の歴史と島へのアクセスまでをプロローグ的に書いております。 ご興味があればお付き合いのほど。 【江戸時代は風待ち港として】 渡鹿野島は湾の奥にあることから、江戸時代に江戸と大坂を往来する廻船の荒天時の風待ちや退避港として栄えはじめ、船乗り相手の宿が建ち、島の女性たちは夜伽をして稼ぐようになります。 この時の遊女は、諸説の一つに船乗りの衣服を繕う女性を指す“針師兼(はりしかね)”が訛ったとされる“ハシリガネ”と呼ばれ、小舟に乗って停泊・停船中の船に乗り込んで商売をする舟遊女もいたとか。 そして島には遊郭が形成さると“女護ヶ島”(※)と呼ばれるようになり、島の“性産業”が定着します。 戦後になり売春防止法によって遊郭は姿を消すと、各地の娼婦が島に流入するようになり、その中に置屋業を始める者が現れ、これを契機に渡鹿野島が公然とそれが行われる“売🌸島”になっていったそうです。 ※にょごがしま。 日本に伝わる、海上にある女性のみが暮らしているという伝説の島。 【人口200人の島は“桃源郷”に】 最盛期は1980年頃で、置屋が十数件。 ホテル、飲食店の他にパチンコ店、小型のストリップ劇場や(金銭のやり取りアリの)ゲーム/ポーカー喫茶やカジノまでと、住民僅か200人の島に色とギャンブルを満たす一大歓楽街が形成され、夕刻にはポン引きや娼婦と客で溢れ返っていたようです。 80年代後半には低賃金なフィリピンやタイの外国人女性が雇われるようになり、バブル期にはさらに新たなホテルも建設されました。 渡鹿野島での往時のお遊びは、娼婦は飲み屋を表向きにした置屋で顔見せするほか、ホテルの宴会でピンクコンパニオンとして入り、そこで指名を取ってそのまま女性の部屋へ。 プレイコースは『ショート』が60分で2万。 そして、4万円で23:00~翌朝までの『ロング』というのがあったそうです。 羽を伸ばしに訪れた離島。 そこの飲み屋や宴会で出会った女の子と恋に落ち、そのままその娘の部屋で一夜を共にして朝を迎え、女の子が朝食を用意してくれればそれを一緒に食べ、お見送りを受けながら船で島を離れる… 建前の“自由恋愛”がしっくり来る、アバンチュールと言える想像しただけでも思わず燃えるシチュエーションですね。 【“性地”から“聖地”へ】 バブルの崩壊に風俗の多様化、そして行政の浄化・健全化の動きによって2000年代に入って島の性風俗産業は衰退していき、2016年に開催される伊勢志摩サミットが追い討ちとなります。 これにより、島の基幹となるサービス産業を性風俗から観光業にスイッチ。 当然性風俗期には遠く及ばないまでも、穴場的な海水浴場や付近にあるリゾート型複合施設の宿泊に家族連れが訪れるほか、島全体がハートの形に似ていることから、“恋人の聖地”をアピール。 某アイドル事務所グループ・N○○Sのテレビ番組で島興こしの企画が放送されたことで、“N○○Sの聖地”として女性客も増加したそうです。 昨年(2021年)には最後の置屋も廃業したという情報もあり、修学旅行の受け入れも行われるなど、健全な観光地として現在に至っています。 【いざ、渡鹿野島へ!】 渡鹿野島への最寄りは🚃近畿鉄道・志摩線の『鵜方駅』。 少し先の終点、賢島も観光地ですが、志摩スペイン村🎢というリゾート型テーマパークへのシャトルバス乗り場があり、志摩市の中心部でということもあり、この鵜方でここまでの乗客のほとんどが下車します。 駅前バスターミナルのきっぷ売り場でお姉さんに『渡鹿野渡船場』に行くのりば🚏を堂々と聞き、観光客達を傍目に、地元のおじいちゃんと2人でバスを待ちます。 やって来た真新しい低床型のミニバス🚌に乗り込み、20分ほどで『渡鹿野渡船場』バス停🚏に到着します。 バス停周辺一帯は、渡鹿野島にある宿泊施設の駐車場🅿️となっており、そこからすぐに渡鹿野島渡船乗り場があります。 【○ン○ン船に揺られて…】 渡鹿野島へ渡るには、この渡船場から『ポンポン船』と呼ばれる小型の客船🛥️に乗ります。 隆盛の頃は『パンパン船』と揶揄されていたのは想像で硬く… もとい、想像に難くありません。 (マジの話しです。) ※他に的矢地区方面と往来する市営運航船がありますが、そちらはアクセスが難のため観光向けではありません。 古いながらも手入れされている待合小屋には、島内案内に古めの旅館・ホテル、飲食店の案内板など。 渡船については運航時間帯のみで時刻表はありません。 こちらへ着岸していなくても、島に向かって手を振るか小屋内の呼び出しボタンで迎えに来る仕組み。 さほど遠くない対岸には、立ち並ぶホテル🏨がはっきりと見え、そこには“売🌸島”がピークだった頃を象徴するホテルの姿も…。 一人の島民と思しきおばさんがやってきたところで、対岸から船🛥️がこちらにやってきます。 船首に赤い小旗があるので、私が乗るべき一般用の渡船。 (小旗なしは宿泊施設の送迎用) 船首に乗降口があるので頭から手慣れた加減で岸壁に付け、船内から乗客が1名降りて来るのと入れ替わりに、おばさんに続いて乗船し、船内で運転手さんへ運賃(200円)をお支払い。 船内は40人ほどが乗船できそうで、船尾には小さいながらも5席分のオープンデッキもあるのでそこに座ると、パンパン船は出発。 快晴で心地よい潮風を感じながら、対岸から見えていたホテル群がみるみる近づいて来ます。 僅か5分の刹那のクルージングで船は島に接岸し、いよいよ上陸! …と言うことで、今回はここまで。 ー 次回予告 ー 渡鹿野島は巨大な欲望が生み出した島だ。 その色街の香りが残る島内を歩きながら、ゴンゴンは新たなる道を歩み始めた島の姿を見る。 企業戦士・ゴンダム。 次回、 『クリリス・イアンの島』 (🌰🐿️) (慰安) …君は、イきのびる事ができるか!? | |
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