タイトル | 学生時代の思い出(初風俗編) |
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投稿者 | バナナボーイ |
投稿日 | 2016年07月16日 |
『学生時代の思い出(初風俗編)』 情報局のストリップ体験談を読み、(当り前の話ですが)ストリップも風俗だと再認識し、僕の初風俗はソープでなくストリップだったんだと最近思い直しました。 それまではずーっと "初風俗=初ソープ" と考えていたので、ストリップのことは僕の頭の中からスッ飛んでいました m(_ _)m ということで、"初風俗=初ストリップ" の話です。 それは、学生時代の春のことです。 当時、僕が通っていた学校は、池袋から徒歩2分の線路沿いにありました。 (既に遠い昔に移転して現在は池袋にありません。その跡地はメトロポリタンの一部になっています。) 当時の池袋も現在と同じで風俗いっぱいの良い町でした(笑) 学校の周りにも泡の園が数件ありました。 勿論、泡の園以外の風俗もありました。 西口公園ではアリス出版が頻繁に撮影をやっていました。友人と一緒によく見学に行っていました。 ある日、友人の一人がストリップを見に行こうと言い出しました。下校後、学生服のままで数人の友人を連れ添って、北口の雑居ビルのエレベーターに乗り込みました。 何階だったか覚えていませんが、エレベーターのドアが開くと、如何にもヤっぽい方々が3人いました。その向こう側では、踊り子さんがスポットライトに照らされて踊っているのが見えました。 3人のヤっぽい方々の一人が 「学生か」 と一言発した後、奥にいた一番偉そうな別のヤの人に何か聞いて、 「2500円だけど、学割で一人1500円でいいぞ」 と言ってきました。 今思うと、学生服でも生ビールを出してくれる飲屋が其処らにあった時代ですから、風俗でも学生服を着ているだけで学割を効かせてくれたのでしょう(笑) ヤの方々は当然ながら強面ですが、僕らには非常に優しく接してくれました。 「空いてるトコに座って、好きなだけ見てっていいぞ」 と言われても、僕らは未だ学生でしたから、オッサン連中の間に座る勇気などなく、後ろの方で立って見ていました。 踊り子さんがステージで身にまとっているものを一枚一枚脱いでいく度に場内から歓声が湧き上がり、スゴイ熱気に包まれていたという記憶が残っています。 踊りが終わると、続けて客からプレゼントを貰ってキスを返したり、客から金を貰って秘部のポラロイド写真を撮らせたり… そして、ショーの最後には、現在は姿を消してしまった "まな板ショー" へ… このようなサイクルで、踊り子さんが次から次へとステージへ現れてショーが展開されていました。 僕らは3人の踊り子さんのステージを見終わると店を出ましたが、特に僕が印象に残っているのは "まな板ショー" でした。 ご存知のとおり、"まな板ショー" は、大勢の観客が見ている前で、中央のマットに寝た全裸の客が踊り子さんに料理されるというものです。 ある男性は、女性が最初に施す前戯の間に呆気なく噴火してしまいました。その様はクジラの潮吹きのようでした。この瞬間、会場からは「あ〜あっ」というため息のような声が… この後、彼は復活することなく、中途半端なショーの幕切れを迎えることになりました。 また、別の男性は、女性の前戯に対して妙にモジモジ・モジモジ腰をクネらせていたので、腰の辺りにピシャッと平手打ちされ、 「モジモジ動かないのっ!」 と一喝されていました。このとき、会場からは笑いが漏れていました。 その後、女性は彼のモノに帽子を被せて騎乗し、「はっ」と掛け声を上げながら天高く逆ハの字に両手を広げて男性の上でゆっくりと回り始めました。その光景は、まるでメリーゴーランドのように見えました。 彼女は一回転して正面へ戻ってくると、ちょっと腰を浮かし気味にして、グリングリンとグラインドさせ始めました。これは堪りませんねぇ。見ているだけで学生たちはフルボッキでした。その男性も程なく果ててしまいました。 何れにしても、あの "まな板" の上に乗る勇気はスゴイと思っていました。 (勇気というよりも恥ずかしさに性欲が勝っていただけかもしれませんが…笑) 現在は、ストリップの数も減少し、池袋には劇場が1つ残るだけに… 地方の事情には詳しくありませんが、全国的にもストリップは減っているのではないでしょうか。 しかし、情報局に時折寄せられるストリップの体験談を見ると、まだまだ頑張っているんだなぁーと思います。 厳しい世情ではあると思いますが、いつまでも残ってほしい風俗の一つです。 ツラツラと思い出すままに書いた長文に最後までお付き合い頂きましてありがとうございました m(_ _)m | |
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