タイトル | 渡鹿野島にプチ慰安旅行してきました【後編】 |
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投稿者 | タンスにゴンゴン |
投稿日 | 2022年05月29日 |
『渡鹿野島にプチ慰安旅行してきました【後編】』 …どーも、“企業戦士 ゴンダム” こと、タンスにゴンゴンと申します。 三重県にある、かつて“伝説の売🌸島”と呼ばれた渡鹿野島を観光し、その様子を前後編にかけてお届けしており、今回はその後編。 今回からご覧になる方で、渡鹿野島についてご存じない方や島の歴史やアクセスなどは前編をご覧くださいませ。 …と言うことで、こちら! ――――――――――――――― 人類が溜まりすぎた性欲を発散するようになって、すでに半性器が過ぎていた。 宇宙性器0072。 (地球世紀1980年頃) 三重県・的矢湾に浮かぶ島は“イアン(慰安)天国”となり、男性客を呼び込んでいた。 男達はそこで嬢を選び、おっ勃て、そして…○でイった…。 ―――――――――――――――― 🎵ちゃらら~ん ばばばーん 『クリリス🌰🐿️・イアンの島』 【上陸】 ポンポン船を降りて渡鹿野島に上陸すると、島のクリーン化のメインテーマである“ハートアイランド”。 そのイルミネーションモニュメントが出迎えてくれます。 改めて “自由恋愛の性地”⇒“恋人の聖地” とはちょっと皮肉な…と思いつつ、そしてその脇に手作りながらしっかりした模型の島内案内で今回の島観光をプランニングしましょう。 外周約7kmの島ですが、そのほとんどに人が入っておらず、上陸したここ東南部に小さく市街地が密集しており、他のスポットといえば、海水浴場や園地、神社がある程度で、見て歩くだけなら1時間もかからないでしょう。 渡船の待合小屋を覗くと、先程のイルミネーションと合わせてJ事務所グループ・N○○S📰が自身の冠番組企画で作成したという看板が。 “N○○Sロケ地巡礼”の女性観光客は、滞在中も2組見かけています。 いよいよ本格的に島の内部へ! と建物の間の小路を入ろうとすると、脇には栄養ドリンク💪の自販機(非稼働)が。 …さっそくの粋な計らいは、さすが性地といったところでしょう。 【お昼時のメインストリート】 自販機が設置されていた建物が島唯一の商店で、その前の通りがメインストリートとなります。 長さ約100m、道幅10mほどのその通りの両側にはスナックや旅館、ホテルが軒を連ねていますが…そのほとんどは看板が外されたりシャッターが閉まっていたりで、通行人も商店へ買い物に来るお爺さんが一人、休み休みで歩いているくらい。 昼とはいえ、前編で触れた往時の様子など見る影もありません。 そんなメインストリートの中で、最大の置屋(娼婦を斡旋する店)とされていたスナックが看板もそのままに残っています。 当然痛みは見受けられるものの、“貸物件”と掲示されていなければ頃合いになると灯りがついて営業を始めそう。 そして“売🌸島”のシンボルともいえるホテルも。 もう開くこともないであろう、入り口の自動ドアの角隅に、 “三重県 料理店 公安委員会” と書かれた古ぼけた特飲(特殊飲食店)鑑札と、 “風俗営業許可済の店” というステッカーが、この建物も置屋であったことを証明してくれます。 これまで見てきた特飲鑑札が残る建物は2階建ての小料理屋や和風のビジネス旅館くらい。 それが多層階で20室クラスのホテルに貼られているなんて! このスナックやホテルを見られただけで、もうこの島に来た本懐を遂げたと言えますが、当然、島内散策は続きます。 メインストリートから曲がった路地にも置屋とされていたスナックなどが数件残されていました。 中には扉が開いているスナック?もあって、中からマダムが談笑する声が聞こえています。 営業中の札もメニュー等の掲示もないので、ただのコミュニケーションスペースなのか? ランチ営業してるのか? はたまた生き残っている置屋なのか? いずれにせよ、冷やかしは失礼なので…。 離島あるあるの、狭小路地に隙間なく建てられた住宅地。 “この島は 道で タバコを 吸わぬ決め” 至るところに掲げられた路上喫煙抑止の看板は、火事になると消防設備も乏しく瞬く間に延焼するからですね。 そんな小さく狭い住宅地の中にも、妓楼の雰囲気を色濃く残す和風旅館跡が。 とにかく200人に満たない人口に対して、何かしらの店舗跡が多い… 「お前らモブ町人はどこで暮らしてンだよ」 というRPGの街のようです。 住宅地から丘上に進んでいくと、単身者用の集合住宅やアパート群などが残っていて、廃墟・ラピュタ化が大いに進んでいることから、そこには娼婦たちが暮らしていたというのは容易に想像できます。 【色にまつわる伝説】 開いていた喫茶店でランチにありついて、島内の他のエリアへ 『わたかのパールビーチ🏖️』は小さいながらも人工的に整備された海水浴場で、南国風で立派な共同シャワー&トイレ設備がきれいに管理されています。 北側の小高い丘一体は『わたかの園地⛲』として、丘上の広場からはリアス式海岸の的矢湾を見渡せ、時には富士山🗻まで見ることができるとの事。 恋人の聖地にありがちな🔔鐘的なものも。 『八重垣神社⛩️』はスサノオノミコトが祭神の神社で、縁結びにご利益があるとしてハート型の絵馬が用意されていました。 …スサノオノミコトって、厄除け神じゃなかったっけ? そして、 『夜泣き松🌲』 婚約した男性に裏切られたハシリガネの女性(遊女)が、育児に困り乳児を松の下に置き去りに。 亡骸を見つけた村人がその松の根本に埋葬したところ、夜泣きが聞こえるように。 『仏石と遊女🪦』 まるで仏像が並び立つ様に立岩があった事から“仏石”と呼ばれる岩礁に立つ一本の石柱。 それは嵐を予感した遊女が愛する船乗りの廻船の出航を止めようと錨を抱いて投身し、果たして予見通り嵐となって廻船は救われたという、その遊女の供養塔として建立された。 といった、色(遊女)にまつわる伝説も遺っていました。 【島旅も大詰め】 島内で歩けるところを一通り回り終え、再び小さな市街地へ戻るとここでふと気がついたのは、元々江戸時代にあった遊廓が無くなっても、後に置屋による管理売🌸が生まれ、狭いエリアで抱えている娼婦の管理がしやすく、四方を海で隔てられていることで逃亡のリスクも少ない…つまり、 島自体が“遊廓”みたいではないか? かつては船乗りで近代は慰安旅行と、島に滞在する男がいて、それを受け入れる遊廓…この構図が江戸時代から続いて、渡鹿野島を“売🌸島”たらしめてきたのでしょう。 そして、クリーン化や風俗の多様化で性産業が下火になると、島全体が廃れてしまった…。 炭鉱によって人が密集し、閉鉱によって人々が去り廃墟と化した、長崎の“端島(軍艦島)”と重なって見えなくもない気がします。 そんな渡鹿野島観光の〆は、現役で数件の健全に営業中な観光旅館やホテルの一軒にお邪魔して、日帰り温泉♨で汗を流すことに! 立派な大浴場&露天風呂は貸し切り状態。 ほんのり肌触りの良いお湯に浸かりながら、島内散策を振り返り、往時の姿に改めて想いを馳せていると、 👩「失礼いたします」 チェックイン時間を控えて浴室の確認に来た若めの仲居さんに、妙にドキドキムラムラ🤤 湯上がりに日帰り入浴のサービスにと、冷えたハーブティーに甘味の杏仁豆腐をいただきながら仲居さんと軽く談笑し、もっこり…もとい、ほっこりとした一時を過ごしました。 ホテルを出て商店でアイス🍦とジュース🧃を買い、岸壁に腰掛けてそれをいただきながら、僅かとなった島時間を堪能します。 パンパンとピストン運動…もとい、ポンポン船がピストン運行で、散策中に見かけたN○○S巡礼とおぼしき母娘やぼっち旅の女性を。 折り返して地元住民や物資を運んだりと何度も往来し、宿用のそれも一組の宿泊客夫婦を乗せて対岸からやって来るのを見つめ、アイスを食べ終えたタイミングでやって来たポンポン船に乗り込み、島を後にします。 “伝説の売🌸島” “最後の桃源郷” と言われた片鱗を十分に感じとる事はできた貴重な島旅でした。 ~ ますかき(あとがき) ~ 島滞在中に年配の島民とお話ができました。 島話を伺いながらの流れで、私が島を訪れた理由をルポ本を見た跡地探訪だと伝えると、 👨「(来訪者で)いるよ、ソッチ(🔞)目的のも。 …だけどさ、やってたとしてもわざわざココまで来てまで…ねぇ」 私がこれまで拾ってきたソッチの近況(2020年前後?)が、 ・残っていた置屋は一軒で、置屋主は高齢 ・嬢は島外の日本人熟女と島住みのアジア系で計3~4名 (時節で稀に若い嬢の出稼ぎも?) ・営業は不定期で週1~2程度 ・営業時にはポン引きも出没 ・2021年に閉業した? ※ウィキ○ディアにも記載あり だったので、この年配島民の短い言葉で、今は“売🌸島”ではなく“渡鹿野島”になったのだと私の中では結論付きました。 ― 了 ― | |
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