タイトル | コチラの向こう側 |
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投稿者 | 本郷四丁目 |
投稿日 | 2016年03月21日 |
『コチラの向こう側』 自分にとって、風俗は非日常体験に他なりません。 やや大げさな表現ですが、日常生活の範囲では出来ない体験をして快感を得る、という行為です。 二十歳そこそこぐらいの頃に、家田荘子の「アブノーマルラバーズ」を読み、彼らアブノーマル達は常識から外れているが故に、ノーマルのそれを遥かに超える快楽を得ている、という記述に衝撃を受けたことが根底にあると思います。 実際に踏み出すまでには十数年かかりましたが……。 理屈で言えば、日常から離れれば離れるほど、そこから得るものも大きいことになります。 その非日常のレベルについて考えてみました。 レベル1 例えば、若くて可愛い子に触るだけでも、自分のようなおっさんには非日常です。 まあ、しっとりとした大人の女性、でも同じことですが。 極端に言えば、女性と触れ合える、いや会話できるだけでも……ちょっと切なくなるので、この辺りにとどめます。 何が言いたいかというと、女性の肌に触れられる、というだけで最低限の非日常体験とは言える、ということです。 レベル2 例えば、現実の女子○生に触れる事など、間違いなく御法度ですが、制服姿の女性と疑似体験することはできます。スクールウェアに限った話ではなく、コスプレというのは全て非日常体験のためのツールだと思います。 ブルマなどは既に現実の世界には存在しませんし、ナースキャップの看護師も同様です。メイドに至ってはそもそも架空の存在です。(現実のメイドは全く別物だと思います) 現実には関わり合えない存在と親密になったかのような体験は、単に相手が綺麗な女性という事より1段階上がります。 レベル3 言うまでもなく、イメージプレイは非日常体験以外の何物でもありません。 恋人プレイはちょっと微妙ですが、痴漢プレイなどはまさに非日常体験の最たるものでしょう。現実には許されないことですし……。 色々なシチュエーションがあると思いますが、基本的にはやろうと思っても出来ないことをするのがイメージプレイというものでしょう。 まさしく、非日常そのものです。 レベル4 変身願望、というものは誰しも多少なりとあるようです。普段、むっつりと無愛想な自分が風俗に行くと、ウザいほどテンション高めのチャラ男になるのも、同じようなものでしょうか。 繰り返しますが、自分にとって風俗は現実と隔絶した世界です。だから、どんな自分にもなれます。もしかしたら二度と会うこともない相手と思えば、変にカッコつける必要もないという気になれるのです。だから、いい歳してウザいチャラ男にもなれるし、下世話なセクハラ親父にも、恥知らずの変態野郎になるのもなんの抵抗もありません。 むしろ、普段の自分とかけ離れたキャラクターになることが快感なのです。 レベル5 現実にはありえないこと。ノーマルな行為の範疇を超えたプレイこそが非日常でしょう。ただ、これは心理的抵抗感とのせめぎあいではあるのですが。 自分は少々潔癖症の傾向があるので、プライベートの行為ではあまり舐めるということはしません、というか、できません。 ところが、風俗では気分が乗れば尻の穴でも……。 その他、道具を使ったり、拘束したりされたり、恥ずかしい格好をしたりされたり、というのもありますね。 レベル高すぎて、まだまだあまり踏み込めない世界ですが。 あらためて考えてみると、自分は、非日常的な行為をしてる自分、というものに一番興奮しているような気がします。 ○○行為にはあまり魅力を感じないのは多分そういう理由で、単なるセックスは非日常としては大したことがないように思えるのです。ソープに食指が動かないのはそのせいかもしれません。 先の例で言えば、レベル1相当でしょうか。それならコスプレのあるヘルスの方が良いし、極論を言えば、初対面の相手のモノを会って数分でくわえる、というピンサロの方が非日常度は高いような気がします。 先日、初めて試したソフトSMで鮮烈な体験をして、そのあたりへの思いを強くしています。まだ迷っているところではありますが、新しい分野の開拓を積極的にチャレンジしていくかもしれません。 ただ、自分は本質的にはアブノーマルではなく、それに憧れるファッションアブノーマルとでも言うべきものだと思います。本来のアブノーマル達は、心の奥底から沸き起こるフェティッシュな衝動に突き動かされた結果的なものでしょうが、自分はあくまでそれがノーマルでないということに惹かれているだけですから。 もしかすると、偽物には辿り着けない世界かもしれません。どっちが幸せかわかりませんが。 まだ見ぬ極上の愉悦に憧れ、日常の向こう側に思いをはせながら、ネットで検索する日々が続きます。 | |
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