タイトル | 関西の新地紀行 初めての飛田新地編 |
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投稿者 | カピ45 |
投稿日 | 2016年07月03日 |
『関西の新地紀行 初めての飛田新地編』 最初に足を踏み入れたのは、最も有名な飛田新地でした。私のまだ若かりし頃、前世紀の話です。 大阪にまだ2度目に足を踏み入れた時ですので、右も左も分かりません。すると現地の友人が、 「カピちゃんよ、面白いものを見せてあげるわ」 と言って、ドコへ行くとも告げずに車で連れ出してくれました。 目的地に近づくと、真夏でしたが、 「エエかい、ココから決して窓を開けてはあかんよ」 と言われ徐行して進めてくれました。 車窓の外に広がっていたのは、間口が広がった家屋がズラッと並んだ光景です。昼間ゆえ多くが引き戸を閉ざしたままでしたが、それでもいくつかの店は開いています。ソコを通り過ぎる時に何気なく様子を伺うと…手前には年配の女性、その奥には若い女性が座布団の上に座ってほほえんでいたのです。 えっ!コレって遊郭??? マサカこの世の中にこんなものが広がっているかという風景です。 手前の女性は、車へ向かっても声を掛けるようなそぶりをしてきます。いわゆる「遣り手婆」(やりてばあ)という方ですね。そんな職業が現役で残っていること自体知りませんでした。 (ルールで、店の敷地から出て客を引いてはならないそうです) さあっと走り抜けてもらっただけですが、ものスゴイ衝撃でした。何しろその当時は世の中にインターネットという物があまり普及しておらず、現在よりも情報を入手する機会は極端に少なかったというのもあります。 モチロン、若い頃ですからそこでどんな事が繰り広げられているのか興味津々です。 でも、その地域を出てから友人に釘を差されました。 「あのな、カピちゃんよ。若いから遊んでみたくなったかもしれんけど、ゼッタイひとりで行ったらあかんよ」 「?」 「あの地域はな、ガラのええ所と違うんよ」 それは、当時はテレビの暴動シーンでおなじみだったあいりん地区に近いというのです。たしかに昼間なのに路上におじさんがゴロゴロ寝ている所もあったなあ…。 私を脅かすためか、散々その地域にまつわる怖い話を聞かされました。エエー、そんな事が!(事実と異なるかもしれませんので、自主規制します) その友人にキタのホテルまで送り届けてもらうと、先ほどの光景が目に浮かびいてもたっもいられなくなりました。 しかし若い男のエロパワーとは、何もににも超越するのです。あれほど警告されていたのにナント行ってしまったのです。 スマホもグーグルマップもない時代、どうやって行くのすら全く分かりりません。でも今となってはどのような経路をたどったかも覚えていませんが、何となく環状線に乗ったような…そうすると新今宮駅で下車したのか。長い商店街のアーケードを潜ったり、ウロウロしていて、 「へえ、この辺のホテルはテレビと冷暖房がついて千円ちょっとなんだ」 などと無邪気に(今考えると恐ろしい)散策をしていると、ふいにアノ光景が開けました。 ああっ、ツイに来てしまった。車で案内してもらったは真昼間でしたので、開いている店も客もまばらでしたが、多くの店がオープンしていて、煌々と灯る店先には、多くの客でひしめき合っています。 予備知識として、時間や料金などは昼間にレクチャー受けていました。しかしお金は持って行っていましたが、そんなスグに店に上がる決心は付きません。何周もグルグル回って、ようやく一軒の店の前で決意して足を止めました。 「兄ちゃん、遊んで行き」 遣り手婆に背を押されるように、料金を支払い狭い階段を登って2階に案内されます。 もうだいぶ前の事なので細かな点は覚えていませんが、部屋がカナリ薄暗く、布団の上に敷かれているタオルケットが不釣り合いにハデなアニメ柄でした。 少し待っていると、女の子が盆に菓子と冷茶を乗せて現われました。背が低くややポッチャリで、前髪をカチカチにヘアスプレーで固めていたような印象が残っています。(意外とヘンな事ばかり覚えていますね笑) 後は…若かったから、チャント15分で事を終えられたのですね(笑) 下まで送られると、遣り手婆に、 「おおきに、また来てや」 「うん、この店の名前教えてよ」 なんて、ナマイキにさもまた来るようなフリをして出ました。若造が背伸びして(笑) エッチが気持ち良かったというよりかは、踏み入れてはイケナイ所を体験したという満足感の方が大きかったような覚えがあります。今となっては、青春の良い思い出です(笑) そしてその後、あまり大阪へゆく機会もなかったのですが、チャンスは不意にやってきたのです。 つづく (文中、おそらくヘンな関西弁の会話で申し訳ありません) | |
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